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10数年ぶりに母方の田舎である徳島県に帰省することになりました。両親は1日早く出発し、わたしは次の日の夕方に合流する予定。

ということは・・・・1日自由な時間がある! そこで、道中の城攻めを思い立ちました。攻める目標は、洲本城と徳島城。前々から行ってみたいと思っていたお城です。

洲本城の前に、ひとつ神社に寄りました。神社といっても神宮号を宮號を宣下された格式高い二十三社ある内の一つがここ淡路島にあるんです。

■伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)■
「国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二柱をお祀りする神社。古事記・日本書紀の神代巻に創祀の記載がある最古の神社で、淡路国一宮として古代から全国の掌敬を集めています。延喜式名神大社、三代実録神格一品、旧官幣大社で兵庫県唯一の「神官号」を宣下された神社です。
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされたイザナギ尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に、「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されています。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源です。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮、淡路島神、多賀明神、津名明神と崇められています。」(WEB上の説明より)

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左:大鳥居は震災で倒壊しましたが、その年に再建されました。
右:表神門。かなり立派です。随神門であったが、明治16年(1883年)現在の様式に改められました。

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左:拝殿は明治12年(1879年の建立。舞殿も兼ねています。行ったときも巫女さんが舞ってました。
右:夫婦大楠(めおとおおくす)。元は二本の「楠」がいつしか根を合わせて一株に成長したもので、神木として信仰されています。夫婦円満、良縁縁結、子授け、子育ての霊験あらたかだとか。もちろんお祈りしましたよ(^.^)

神宮をあとに洲本城へ。城攻めの前にふもとにある施設等をまずは見学。

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左:洲本城平城跡にある淡路文化博物館。ふもとの城は藩庁が置かれたそうです。三熊山山頂の小さな模擬天守がかわいい(^.^)
右:その資料館のすぐそばにある、洲本八幡神社。
「淳仁天皇のご創祀と伝わる洲本八幡神社は、淡路州神と称えられ、江戸時代には徳島藩主蜂須賀氏、洲本城代稲田氏の祈願所として淡路の国の安寧が祈られました。洲本の氏神として、開運導きの神、災い除けの神として特に信仰を集めています。又境内には、大阪中座にお祀りされていた柴右衛門大明神の社と金天閣があります。」(WEB上の説明より)

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左:金天閣(兵庫県指定文化財)。「江戸時代に蜂須賀氏により建てられた洲本城の一部(玄関、書院)が移築されて保存されています。洲本城関係者の建物では現存する唯一の建物で江戸時代初期の建築様式が随所に見られ、四国随一の大名家の往時を今に伝えています。」(WEB上の説明より)
右:境内内にある、柴右衛門大明神社。平成11年中座の閉館と共に里帰りしました。

そして、洲本城へ!

■洲本城■
「洲本市街の南に位置する標高150mの三熊(みくま)山上にある城郭と、その北麓に造られた御殿部分(下の城)の二つの空間からなる複合城郭です。1585(天正13)年に洲本(すもと)に入った脇坂安治(わきさかやすはる)が山上の旧城を石垣造りに改めましたが、山麓の城は蜂須賀(はちすか)氏の淡路加封にともない、家老の稲田(いなだ)氏が1630(寛永7)年に入城、整備したものです。山腹には両者をつなぐ珍しい「登り石垣」が残されています。」(WEB上の説明より)

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左:大手門跡。車で、ここまで登ってくることが出来ます。
右:馬屋郭(うまやくわ)の北東部に存在する石垣。二段積なのは、石垣が築かれ始めた初期のころ、高く積む技術が無かったからだと考えられています。

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左:南の丸南東部の石垣は、およそ4メートルほど拡張されており、旧稜線と二重になっています。櫓を立てるために拡幅したんでしょうか?
右:東二の門。

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左:本丸石垣。ちょっと崩れているのが寂しい。
右:本丸の武者走り。階段が急すぎる気がするなぁ(^.^)

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左:天守台よりの眺望。この見事な眺めは、洲本八景のひとつに数えられています。
右:天守台に立つ日本最古の模擬天守。、1928年(昭和3年)に建てられましたが、近年ひび割れが発見されたため、立ち入り禁止になっています。

洲本城攻めも終了し、次なる目的地へ。途中で徳島ラーメンを食べて、腹いっぱいになってから徳島上へ到着。

■徳島城■
「1585年、四国平定で戦功のあった蜂須賀家政は、豊臣秀吉から阿波一国約19万石を賜る。家政は、父正勝とともに拠点となる城を築いた。この工事にあたり、秀吉は小早川隆景や長宗我部元親らに援助を申し付けているが、これがのちに徳川幕府が西国大名に命じた天下普請の走りともいわれる。そのおかげで徳島城は1年半で完成した。
家政は、築城に従事した大工らをねぎらうために祝儀として酒をふるまい、さらに城下町にも酒をふるまったことから、民は狂喜乱舞。武士たちにはその席に連なるのを禁じたので、民は遠慮することなく騒ぐことができた。町民らは7月15~16日の両日、2日間にわたって踊り狂い、これが阿波踊りのはじまりといわれる。以来、廃藩置県まで14代280年にわたって蜂須賀家が支配する。明治に入って建物は破却され、唯一鷲の門だけが残されたが、昭和20年の徳島大空襲で残念ながら焼失してしまった。」(WEB上の説明より)

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左:復元された数寄屋橋。
右:明治維新後も唯一残っていた鷲の門も震災で焼失し、平成になって復元されました。

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左:下馬橋。もともとは木製の太鼓橋でした。石垣が緑っぽいのは「阿波の青石」として有名な緑色片岩を用いているから。
右:御殿跡に立つ徳島城博物館。御殿風の建築物でとっても立派。展示物の徳島城表御殿復元模型は精密で見とれるほどすごいものでした。

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左:博物館に隣接する、旧徳島城表御殿庭園。枯山水の庭と池泉回遊式の庭園で、国の名勝に指定されています。
右:山城の方もちゃんと攻めてきました。石段をひいひい言いながら登っていくと三の丸へ出ました。

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左:本丸。2003年まで護国神社がありました。
右:本丸石垣。草ぼうぼう・・・。崩れないか心配だ(^_^;)

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左:東二の丸。ここに天守代用の御三階櫓が建てられたそうな。
右:麓にある、蜂須賀家政の銅像。


石垣しかなくても、建物が無くったって、そこにいるだけでテンションがあがってしまいますぁ(^.^)

高知県も愛媛県も早く城攻めしたいところです。なんせ、現存天守が3つもこの四国にはありますからね。時間つくって行かねば!!
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しょうちゃん

Author:しょうちゃん
訳あって神戸から大阪に引っ越しました。
模型から寺社仏閣に城etc・・・趣味のひろーい男でござる。
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