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「 2006年05月 」 の記事一覧
名古屋観光 その2
4日は名古屋城を見た後、ホテル(ビジネスホテルだけどね)へチェックイン。しばしの休憩の後、ご飯を食べに名古屋の夜の町へ。ホテルのお風呂は味気ないので、前もって探していた銭湯へ行きました。後はホテルの部屋で、買ってきたお酒を飲みつつ、明日の段取りを。友人達は名古屋の港のほうへ行くというので、わたしは別行動をとることにしました。
城好きなわたしとしては、近くにあるあの城、国宝犬山城に行かないわけにはいかないでしょう。あと熱田神宮へのお参りもしたいので、その辺をぶらっと散策することにしました。 もう乗ることないんじゃないかと思う名古屋鉄道に乗って、犬山遊園駅で降りて犬山城に向かいます。城のほうに向かう人はほとんどいなくて、他の乗客はモンキーパークへ行くためにモノレールに向かってました。駅にマップが置いてなくて、道中少し不安になりました。城への入り口もかなり分かりにくく、歩いてくる人のことは考えてないのでは?と思うほど。ちょっといらっときました(^^ゞ ■犬山城とは■ 犬山城は天文6年(1537)現在の位置に天守が造営され、織田与次郎信康が城主となったが、天文16年(1547年)岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田十郎佐衛門信清が城主となった。その後、難題か城主が変わり、文禄4年(1595年)石川備前守光吉が守った。慶長5年(1600)関が原の合戦後、小笠原和泉守吉次が入城した。この石川、小笠原両氏の手によって、近世の犬山城が完成された。 その後、平岩主計頭親吉のあと元和3年(1617)成瀬隼人正正成が城主となってからは成瀬氏が継いで明治に至った。 明治4年9代目正肥のとき廃藩置県で廃城となり天守を除くほかは殆ど取り壊された。同24年濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門が壊れたので同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ、唯一の個人所有の城として現在に至っている。 昭和2年11月20日、天皇陛下が登閣され、同10年5月13日国宝に指定された。 ![]() この神社は駐車場から国宝犬山城に行く途中にある「針鋼神社」です。犬山城内にある本殿・拝殿を備えた当地の産土神[うぶすながみ]がまつられた神社で、江戸時代には、犬山城主成瀬政親の祈願所でもありました。4月第一土・日曜には、桜の下を車山[やま]が練り歩く、犬山まつりが開催されてます。 ![]() ![]() ![]() 現存する天守で国宝に指定されているのはわずかに4つ(ほかに松本城、彦根城、姫路城)で、そのうちの1つがこの犬山城天守です。三層四階の天守で小振りですが、入母屋の上に望楼をあげるという古い様式がよくわかります。一階二階の入母屋部分は室町期、三階四階は江戸時代に建てられたらしいです。 内部は自由に見る事ができます。最上階からの眺望は絶景ですが、身を乗り出しすぎて、欄干(というのかな?)低いので落ちないように気をつけてくださいね。あと、階段が急ですので、スカートでの登城は止めたほうがいいかも(^^ゞ 右端は天守南東の「切妻付櫓」です。この付櫓と西北隅の石落としの間は、昭和36年からの解体修理工事の際に復元されました。 ![]() 左が場内にある御神木の杉の木。数百年の風雪に耐えてきたが、現在は残念ながら死んでいます。しかし、枝を切り囲いをし、保存につとめています。 右が9代藩主成瀬正肥の功績をたたえる為に建てられた碑です。 ![]() 城の近くに、犬山市文化資料館があります。わたしはここで初めて、犬山まつりを知りました。13台もの山車が曳きまわされるのだそうで、これはぜひ見てみたいなと思いました。この資料館にはその山車が展示されていますが、これが見上げるばかりの大きさ。8mほどあるそうです。人形からくりも披露されるそうです。 写真が、その人形からくりを紹介する「からくり展示館」です。わたしが訪れたとき、ちょうどお茶くみ人形の実演と説明をしていました。お茶を運んで引き返す距離の調整を知ってへーーっとなりました。山車で披露されていたからくりも実演してもらって、これもほーーっと関心。この2つの資料館は小さいながらも感心することばかりで楽しかったです。 城を後にして、近くにあるもうひとつの国宝を見に行きます。この紹介はその3で・・・・。
テーマ:旅行記 - ジャンル:旅行 カスタマイズ第2弾・フロントフェンダーダウンステー
位置が高すぎて、全く仕事していないと評判のフロントフェンダー。雨の日はえらいことになるらしい。ダウンフェンダー化している人がかなりいるのはそうした理由なのでしょう。
わかっているなら先に対策をしておこうと思って、これまた納車前からパーツを準備していました。G−クラフト、ディトナからダウンフェンダーステーが出ていますが、結構それなりの値段します。ヤフオク見ていると、自作ダウンフェンダーキットが出ていました。値段は2,000円。自分で部品揃えてもいいんですが、取付けに試行錯誤して無駄なお金と時間を使いたくなかったので、このキットを落札して取り付けました。 ![]() 取付けてみました。さくっと取り付けられるかと思いきや、ステーを付けたフェンダーを固定位置に持ってくるのにてこずりました。キズ防止にゴムとかビニールテープをはさんであります。ボルト穴が1個余るので、純正のボルトを突っ込んでおきました。 ![]() 正面から見た全体の感じはなかなかいいみたい。純正の取付け位置が高すぎるんだということがわかりますねぇ。オフロードバイクかと思うくらいの位置ですもんね。 雨を体験する前に、ダウン化したので効果の程がさっぱりわからないんだけど・・・・。ま、逆に言うと雨の日に辛い思いをしなくてすんでよかったかなと考えればいいかな。
テーマ:バイク用品 - ジャンル:車・バイク 名古屋観光 その1
5月3日〜4日と名古屋へ1泊旅行へ友人と行ってきました。初日は午前中いっぱいかけて近鉄に乗って名古屋へ。昼食の後、尾張名古屋は城で持つで有名な名古屋城へ行くことにしました。
実は城好きなわたしにとって名古屋行きは願ってもないこと。ウキウキしながら名古屋城へ。 ■名古屋城とは■ 名古屋城は、関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、慶長14年(1609)江戸幕府の東海道の要所として、また、大坂(現大阪)方への備えとして、清須(現清洲町)から名古屋へ遷府を決定し、加藤清正・福島正則・前田利光等北国・西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じ、天守閣や諸櫓の作事(建築工事)は、慶長17年(1612)にほぼ完成した代表的な平城です。 その後、明治維新をむかえるまで名古屋城は、徳川御三家の筆頭尾張家の居城として栄えました。 第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月、名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿はじめ建物のほとんどを焼失しましたが、幸いにも焼失をまぬがれた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられています。(パンフレットより) ![]() 左は駅から一番近い城の入り口、二の丸東門跡です。 右は二の丸庭園内にある、「那古野城址碑」です。那古野城は名古屋城の前身で、築城の際に二の丸の一部として取り込まれ消滅しました。 ![]() 左が「清正公石曳きの像」です。慶長15年(1610)加藤清正が徳川家康に願い出て大小の天守閣の石垣工事を施工しました。 清正は巨石を修羅に乗せて運ぶとき、石の上に乗り気勢を上げたと伝えられ、世に「清正の石曳き」といわれています。 右は「本丸東南隅櫓」です。二層三階の櫓で巽櫓とも呼ばれています。 ![]() 左が本丸へ至る門で「表二の門」です。右が言うまでもなく大天守と小天守です。現在の大・小天守は昭和34年に外観復元(五層七階、当時は五層五階の層塔型連結式)されたもので、尾張名古屋のシンボルである金鯱も載せられています。手前に見える整然と並んだ石は、戦災で焼失した本丸御殿の礎石。 ![]() 左が小天守です。大天守や場内の櫓と比べても地味な感じがするのはわたしだけでしょうか? 右が、小天守から仰ぎ見た大天守です。大天守へは、小天守の下をくぐって入る様になっており、連結天守が一つの曲輪となっています。 ![]() 左が「不明御門」で、多聞塀の下をくぐる埋門です。本丸御殿へ通ずる門であり、常に鍵が厳重に施されているところから、別名を「あかずの門」と言いました。 右が「正門」です。明治43年に江戸城蓮池御門を移築して戦前まで残っていいましたが、戦災で焼失しました。現在は、鉄筋コンクリートで外観復元されています。 ![]() 左は御深井丸から見た大天守です。あらためて天守の大きさ、石垣の美しさが分かりますね。 右は「本丸西南隅櫓」です。二層三階の櫓で未申櫓とも呼ばれています。櫓に石垣に天守という、誰もがこの角度で写真撮るんじゃないこという構図になってますね(^.^) さすがは日本三大名城のひとつですね。本当ならもうちょっとじっくり見たかったです。外周もぐるりと一周したかったし。中から見るより外から見るほうが、お城らしくていいですからね。それに、櫓をひとつ見忘れたのが悔しいです・・・。次は本丸御殿が再建されたときに訪れたいなと思います。
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